戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将・豊臣秀吉が天下統一を果たし、次に目指したのが海の向こうの大陸への侵攻、朝鮮出兵。その出兵の拠点として築城したのが名護屋城。残念ながら当時の建物は残っていませんが、17万平方メートルもある城跡には当時の石垣がよく残っています。国の特別史跡に指定されている名護屋城跡、陣跡を巡る起点となる名護屋城博物館などを観覧し、当時の賑わいに思いを馳せたいと思います。
豊臣秀吉や名護屋城跡ゆかりの品々が一堂に。名護屋城博物館
名護屋城跡・名護屋城博物館は、JR唐津駅から車で約30分、バスで約1時間の距離にあります。
現在は石垣を残すのみの名護屋城ですが、当時は大坂城に次ぐ全国2番目の規模を誇る城でした。全国から約160家の大名・武将が名護屋に集結。その遺跡群は半径3キロメートルにも及び、城跡と23の大名の陣跡が国の特別史跡に指定されています。
そんな広大な遺跡を保存するための中心的な施設として、名護屋城博物館が開館。1993年(平成5年)に建てられ、今年で30年になります。博物館内では、名護屋城跡、陣跡の調査成果や日韓交流に関する資料の常設展示、名護屋城の再現CGを現地で見ることができる「バーチャル名護屋城」タブレットの貸出をしています。2022年春からは豊臣秀吉の「黄金の茶室」が復元設置されています。
常設展示のメインエリア「歴史の中の名護屋城」では、朝鮮への出兵「文禄の役」「慶長の役」をテーマに、「肥前名護屋城図屏風」や、日朝両国の軍船を再現した「安宅船」「亀甲船」、当時の戦争について伝える資料、桃山時代の文化、出兵を通じて朝鮮半島から日本に広がった文化についても展示。また、江戸時代以降に朝鮮国から招かれた朝鮮通信使や朝鮮時代の工芸資料のほか、近現代のコーナーでは日本統治時代の古写真や絵葉書などが展示されています。
特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、名護屋城跡や周辺陣跡の発掘調査の成果を紹介するコーナーで、金箔瓦や陶磁器などの出土遺物のほか、保存整備の様子についても紹介しています。この後、名護屋城跡や陣跡を見学する際、どのように巡るか参考にしていただけることでしょう。
秀吉が天皇や公家、大名をもてなした舞台「黄金の茶室」
豊臣秀吉が活躍した時代は、金や銀の国内産出量が飛躍的に増えたことから、秀吉の元には大変多くの富が集まりました。
秀吉が天皇や公家、大名などをもてなす舞台として作らせた「黄金の茶室」。秀吉の身の回りは華麗な装飾品で彩られ、大名・公家に金銀を配ったという「金賦り(かねくばり)」や、豪華な金箔瓦や障壁画などで、秀吉は自らの権威と財力を見せつけていたようです。
当時の資料によると、1585年(天正13年)に登場したこの茶室は、京都の御所や大坂城などで使われたのち、1592年(天正20年)に秀吉が名護屋城への着陣にあわせてこの茶室を運ばせ、参陣した大名達を一堂に招いた茶会や外国の使節のもてなしなどに使われました。
名護屋城博物館では昨年(2022年)この茶室を復元し、一般公開を始めました。また、特別に茶室内で抹茶と茶菓子の提供を受ける体験ができる有料の体験プログラムもあり、秀吉たちが目にした景色を追体験できると好評です。
大坂城に次ぐスケールも、城跡残すのみ 名護屋城跡
城があった当時としては大坂城に次ぐ規模であった名護屋城。その広さは総面積17万平方メートルにも及びます。
1591年(天正19年)秋に工事が始まり、九州の大名が分担して築城したことで、わずか5カ月後の翌年春には城の主要部が完成したそうです。
城の中央、最上段には天守台や本丸、中段に二ノ丸、三ノ丸、遊撃丸、東出丸、弾正丸、その下に水手曲輪、山里丸、台所丸があります。入口は名護屋城博物館側にある大手口のほかに4カ所。城の北側には鯱鉾(しゃちほこ)池、その先に当時は城下町が広がっていて、最盛期の人口は20万人以上あったとか。今でも、当時の町の名前が残っているところが多くあります。
博物館や城跡の入り口で配布されているマップでは、城跡内を巡るコースとして、所要時間に応じて3つのコースを紹介しています。
大手口から天守台までを往復する「お急ぎコース」(大手口〜東出丸〜三ノ丸〜本丸〜天守台〜三ノ丸〜東出丸〜大手口)で約30分。途中には石段などあり、徒歩でしか巡ることができないコースです。名護屋城の広さを実感することができるので、ぜひ天守台まで行ってみてくださいね。
「お手軽コース」は、天守台まで巡り、三ノ丸まで戻った後、二ノ丸や搦手口(からめてぐち)を経由し、大手口に戻る約1時間。「充実コース」は、天守台の後、水手口から太閤井戸、鯱鉾池、山里口、豊臣秀吉の側室広沢の局を祀る広沢(こうたく)寺(上山里丸)を巡り、水手口に戻った後、さらに遊撃丸から二ノ丸、そして「お手軽コース」にもある二ノ丸や搦手口を巡る約1時間50分。十分に時間を確保して博物館や城跡を巡ることができれば充実感いっぱいです。
城跡の入口にある案内所では、ガイドツアーも受け付けています。遺跡の見どころなどを分かり易く説明してもらえるのでおすすめです。
名護屋城周辺に数多くある陣跡
豊臣秀吉による朝鮮出兵の拠点となった名護屋城。日本各地の大名がここ名護屋城周辺に集まったと言われており、半径3キロ圏内に大名の拠点となる陣屋を建てています。そのうち、現在までに約150あまりの陣跡が確認され、少しずつ保存や整備を進めているそうで、うち23カ所は特別史跡に指定されています。
豊臣秀吉の甥にあたる木下延俊は、名護屋城の大手口を守る重要な場所に陣屋を構えていました。名護屋城博物館の裏からアクセスすることができ、昨年(2022年)リニューアル。約430年前の庭園等に関連する遺構の一部を展示しているほか、復元ジオラマや木下延俊をモチーフにしたデジタルコンテンツを用意し、当時の陣屋の様子を体感できます。
越前北ノ庄(福井県)の大名・堀秀治の陣屋があったところです。こちらも当時の建物は全く残っていませんが、発掘調査で見つかった礎石や飛石を露出展示しているほか、敷地内にある複数の案内看板で、御殿や能舞台など、かつてここに建物などがあったことがわかるようになっています。堀秀治陣跡は、もっとも整備された見学できる陣跡です。
豊臣政権五大老の1人で、江戸を本拠に約250万石を領した大名・徳川家康の陣屋があったところで、名護屋城博物館から徒歩15分、車で5分ほどの距離にある「なごや保育園」のすぐ隣にあります。
ほかにも陣跡は呼子大橋近くや波戸岬近くなども含め多くあるのですが、陣跡の中にはその看板を頼りに「どこだろう」と探しながらようやく辿り着くようなところや、途中までは車で行けるものの、徒歩でしか辿り着けないところなど、陣跡によって整備状況はさまざま。名護屋城博物館と名護屋城跡と合わせて陣跡を回るには1日がかり、回る陣跡の数によっては2日間以上かけてということにもなりそうです。お城ファンや歴史ファンの中には、名護屋城や隣接する呼子周辺を訪れては陣跡を1つずつ巡る方もいるとか。当時、このエリアに大変多くの人が集まっていたことを感じることができます。
名護屋城をアプリやVRで楽しもう
名護屋城案内アプリ「肥前名護屋城の謎を解く」は、名護屋城博物館を起点に、謎解きをしながら名護屋城跡を散策できる体験型アプリで、見学時間に合わせて3コースがます。(貸出用タブレットのみ)
また、VRアプリ「VR名護屋城」では、名護屋城や大名の陣屋、城下町の様子を、高精細のグラフィックスを使って再現しています。特に名護屋城跡では、バーチャルリアリティ(VR)で当時の名護屋城の姿を現地でスマートフォンやタブレットを通じて見ることができます。
名護屋城博物館を起点に、かつて全国の大名が集まった名護屋城跡と周辺の陣跡を、ゆっくりと時間をかけて巡ってみませんか。
スポット名 | 佐賀県立名護屋城博物館 |
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開館時間 | 9時から17時 |
休館日 | 月曜日 ※月曜日が祝休日の場合はその翌平日 12月29日から1月3日 |
入館料 | 無料 ※特別企画展は有料となる場合もあります |
住所 | 唐津市鎮西町名護屋1931-3 |
電話番号 | 0955-82-4905 |
駐車場 | 無料 ※名護屋城博物館と名護屋城跡共用 普通車:58台 バス:6台 |
アクセス |
JR利用の場合 高速バス利用又は唐津市中心部から来館の場合 車利用の場合 |
備考 |
スポット名 | 名護屋城跡 |
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開館時間 | 24時間(名護屋城跡観光案内所は9時から17時) |
休館日 | 年中無休(名護屋城跡観光案内所) |
入館料 | 大学生以上の方には清掃協力金(100円)をお願いしています。 |
住所 | 唐津市鎮西町名護屋1938-3 |
電話番号 | 0955-82-5774 |
駐車場 | 無料 ※名護屋城博物館と名護屋城跡共用 普通車:58台 バス:6台 |
アクセス | 佐賀県立名護屋城博物館アクセス情報参照 |
備考 | 肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会(外部リンク) |