佐賀の七賢人(佐賀市)

  • 佐賀の七賢人(佐賀市)

佐賀藩は、幕末から明治にかけて多くの優秀な人材を輩出しました。その中でも特に「佐賀の七賢人」と呼ばれる人たちは、当時の時代に先駆けた、顕著な功績をたくさん残しました。彼らの活躍により、佐賀藩は強い軍事力と優れた人材を作り上げ、幕末の日本で大きな力を持つ藩になったのです。佐賀の人々は、近代日本の基礎を作った彼らのことを、今でも誇りに思っています。

鍋島直正(なべしまなおまさ)
佐賀藩十代藩主。「稀代の名君」と呼ばれ、学問、救農、産業開発などの分野において功績を残し、西洋文明を積極的に取り入れたと高く評価されています。特に、藩校「弘道館」での教育、医学校や病院「好生館」の設立、また藩士に蘭学を修行させ、種痘の普及、そして反射炉の設立・大砲の鋳造などで全国に名を馳せました。

大隈重信(おおくましげのぶ)
1882年に立憲改進党、1898年に憲政党を結成し、後に内閣総理大臣を2度も務めるなど、特に財政・外交面で活躍しました。一方、早稲田大学創立者としても有名です。

副島種臣(そえじまたねおみ)
明治政府において外務卿に在職中、樺太の境界についてロシアと談判し、また横浜港寄港のペルー商戦から中国人奴隷を解放するなど、正義道の人として世界的に高く評価された外交官でした。また、書家としても有名。

江藤新平(えとうしんぺい)
明治維新期に、卓抜した理論と抜きんでた事務能力で活躍した人物です。初代司法卿として、廃藩置県、三権分立、議会の開催に尽くしていましたが、征韓論に敗れて辞任。明治7(1874)年、明治政府に対する反乱である「佐賀の乱」を中心になって起こしましたが、政府軍に敗れてしまいました。

島義勇(しまよしたけ)
2年間にわたり蝦夷・樺太を探検し、蝦夷開拓使を務めるなど、北海道開拓に貢献した人物として高く評価されています。一方、憂国党を率いて反政府運動を起こし、「佐賀の乱」で敗れた人物の一人でもあります。

大木喬任(おおきたかとう)
明治政府以後、東京府知事、民部、文部、司法卿を歴任し、初代文部卿として、学制・学校令・教育勅語など、現在の教育体制の整備に力を注ぎました。

佐野常民(さのつねたみ)
慶応3(1867)年、パリ万国博覧会を視察した際、赤十字の「自由・平等・博愛」の精神に触れ、帰国後博愛社(現・日本赤十字社)を創設し、西南戦争において負傷者の救護に当たりました。明治維新という混沌とした時代に、新しい人道博愛の精神を築いた人物であると言えます。

WEB/https://www.sagabai.com/main/3765.html

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